2024.4.12

  日本ジャーナリスト会議(JCJ)事務局長の古川英一氏は、その機関誌「ジャーナリスト」に、同行取材した2月17-18日の辺野古・大浦湾ツァーと連続講座第2回の記事を執筆しています。2024年3月号通巻792号5面(2024.3.23)です(現在はJCJ会員のみオンラインで閲覧可能)。

 

https://jcj.gr.jp/


2024.4.12

  スイス人ジャーナリストのクーザー・イーゴー氏は、2月17日の辺野古・大浦湾ツァーおよび18日の第2回連続講座に参加し、ドイツの日刊新聞「Junge Welt」にその記事を執筆しています。

Japan: Inseln zu Festungen, Tageszeitung junge Welt, 30.03.2024

(日本:島々の軍備化へ、日刊紙junge Welt、2024.03.30)

https://www.jungewelt.de/artikel/472411.japan-inseln-zu-festungen.html

(現在、このページはサブスクリプションで購読可) 

 

クーザー・イーゴー(Kusar Igor)

  https://igor-kusar.tokyo/profile/

 

2024.4.18

島々の軍備化へ

日本は少しずつ軍事化され、武装化されている。沖縄を訪ねて

クーザー・イーゴー

 

 2本の滑走路と港を備えた新しい米軍基地が建設される予定の辺野古をめぐる戦いは、次のラウンドに突入している。辺野古側の埋め立て部分はほぼ完成しており、現在は隣接する大浦湾の深い海域の埋め立てによる軍港の造成に関心が寄せられている。これに対する住民や市民の激しい抵抗は、何年も前から続けられてきた。しばらく前に海底の軟弱地盤が見つかったため、国は建設計画を変更した。しかし、沖縄県の玉城デニー知事は、裁判所の判決後も変更承認を拒否している。12月末、日本政府は沖縄県知事に代わり埋め立て工事の継続を認めた。またしても、日本の地方政治の自己決定権が踏みにじられたのである。

 そのほとんどが沖縄県に属する南日本の琉球列島で、「もう沖縄戦はやめて」という声があちこちに響きわたる理由の一つだ。そして、2022年12月に日本の岸田文雄首相が発表した新しい軍事ドクトリンに忠実に、中国を「最大の戦略的課題」とする軍が島々を巨大な要塞へと拡大するにつれて、沖縄での抗議の声は日に日に大きくなっている。

 この抗議は、本土での再軍備への抵抗がやや勢いを失った後、沖縄が現在最も活発に行っている平和運動の一部である。「私たちは反撃しなければいけない」と、バスの中で女性が私に言った。「日本と米国の政府は、戦争ゲームに自由な決定権限を持てるように、我々を移住させたいのです。でも、そこまでは許さない」と決意を固める。沖縄は、広島や長崎とともに、戦争と平和の問題における道徳的権威であり、今後もそうであり続けるだろう。しかし、原爆都市と異なり、沖縄への関心は本土では低い。

 地元住民の苦しみは、2022年末に始まったわけではない。沖縄は約80年前から、この「戦時状態」にある。1945年4月から6月にかけて、日米間の日本領土における唯一の陸上戦がここで繰り広げられた。推定にもよるが、先住民の3分の1が死亡した。1945年8月の日本の敗戦後、沖縄は1972年まで米軍政府の直接占領下に置かれた。アメリカは徐々に基地を拡大し、琉球列島の島々が日本に返還された後も、基地をわずかに縮小したに過ぎなかった。現在、在日米軍基地の約70%が沖縄にある。

 この地の雰囲気は、数々の賞を受賞した地元の作家、目取真俊氏が物語の中で最もよく表現している。彼の登場人物たちは、第二次世界大戦のトラウマに悩まされており、それは戦後世代の人生にも引き継がれている。夢の中で、記憶の中で、そして亡霊として、戦没者たちが現代に蘇り、現代の沖縄に影を落とす。

 

暗闇に光をもたらす

 日本の中央政府の再軍備計画に反対する闘争は、沖縄各地で起こっている。現在、辺野古や、日本の自衛隊が数年前から急激な軍事拡大を展開している小さな島々で、非常に激しく行われている。

 2月中旬、沖縄の県都・那覇で貸し切りバスに乗り込み、さらに北にある辺野古と大浦湾の様子を詳しく調べた。主催は「沖縄・琉球弧の声を届ける会」、地元の市民団体である。この組織の目的は、日米政府の非常に多くの軍事プロジェクトの陰謀に光を当てることだ。これらは通常、東京のメデイアによって無視されている。特に米軍基地は、彼らにとって事実上タブー視されている。

 午前中にバス停に集まった約20人の関心のある人々、活動家、ジャーナリスト、大学講師などの多様な人たちで、80歳のふたりがリーダーだ。沖縄は平均寿命の記録を更新している。

 沖縄戦を想起させるモニュメントがあちこちに建ち並ぶ一方で、辺野古は来るべき武力衝突を暗示し、とりわけ活動家たちが繰り返し戦前と現代の類似点を描いて恐れている。これは島の過去と未来への旅なのだ。バスの車窓の向こうに広がる街並みは、日本の他の地域を彷彿とさせるものではない。沖縄には独自の建築様式がある。特徴あるファサード、大きなバルコニー、平らな屋根の家々がいたるところにある。チェーン店の名前だけが、沖縄が日本の都道府県であることを思い出させてくれる。

 辺野古の建設現場に近づくと、知識豊富な専門家である2人のリーダーから、背景や最新の動向について説明を受けた。1996年、日米両国は「世界で最も危険な軍事基地」である普天間基地返還のため、県内移転(条件付き辺野古への基地移転)に合意した。1999年、辺野古が新しい場所として選ばれ、日本国が費用を負担することになった。しかし、プロジェクト全体は、両国政府が地元住民に配慮しているという印象を与えるためのPRクーデターだ。実際には、アメリカは早くも1960年代に辺野古に基地を建設する計画を立てたが、後にコスト高を理由に断念された。その意味で、辺野古は普天間飛行場の代用品ではなく、独自の歴史を持っている。

 そして、第2のテーゼは、第1のテーゼと半ば矛盾している。アメリカは、2,800mの長さの滑走路の恩恵を受けているので、普天間基地を決してあきらめない。だからこそ、辺野古プロジェクトは移転防止のためにも決して完成しない。ここ辺野古では、2つの滑走路がそれぞれ1,000m短くなっている。本格的なスキャンダルが公けにされるのを待っている。

 少し進むと、木々が茂った丘に囲まれた大浦湾に到着した。軍港予定の区域には目印がつけられ、数台のクレーンが空中で停止して、船が海面に並び、その日は埋め立て作業が止まっていた。日本政府は、軟弱な海底に7万本以上の杭を打ち込み強化したいと考えている。しかし、これは今日の技術では完全に杭を打ち込むには深すぎる。港湾建設が失敗する運命にあるひとつの兆候だ。

 

毒とロケット

 近くの漁港で、グラスボートに乗り換えて、湾内のサンゴ礁を訪れた。大浦湾は生物の楽園で、5,300種の生き物が生息し、そのうち260種が絶滅の危機に瀕している。日本中の環境保護活動家は、予想される破壊や汚染のために反対している。しかし、彼らが軍事基地に反対しているにもかかわらず、日本政府は代替案がないと言う。今のところ、日本の市民社会は、この茶番劇に充分な抵抗をするには弱すぎるように思われる。莫大な利益を得ている日本の大手建設会社は、このことに感謝してもいいだろう。

 沖縄本島だけでなく、小さな島々でも軍事化が進んでいる。那覇から飛行機で1時間弱のところに宮古諸島があり、ターコイズブルーの澄んだ海で知られる宮古島がある。その秘密はすぐに語られる。宮古島には海を汚染する可能性のある川がないのだ。その結果、住民は地下水のみに依存している。しかし、日本の自衛隊が数年前に島の2か所に新しい基地を完成させたため、この飲み水の将来はもはや不確かだ。

 「怖いです」と清水早子さん。「戦争の準備が本格化している。ここの基地には短距離ミサイルがあります。軍事紛争が発生した場合、ここが最初に攻撃される場所になります。地下水が汚染されれば、島の約5万人の住民は住めなくなるでしょう」。しかし、すでに軍によって水が汚染される危険性がある。清水さんは、軍事化に反対する小さいながらも非常に活発な住民グループの一員だ。ホテルのロビーで75歳の彼女に会ったが、彼女は帽子をかぶって現れた。まだ2月というのに、外は25度で、太陽が頭に降り注いている。

 「私たちは、不快感を訴えるために、街中や基地のゲートの前に並んでいます」と清水さんは続ける。「2年間の建設期間中、私たちは毎日そこにいました」。そして、2年前にロケット弾が船で到着した時、ロケット弾輸送トラックの前に立ちはだかって輸送を止めようとした。その結果、警察は彼女を連行した。射程200キロの短距離ミサイルは、中国海軍が太平洋への通過路として日常的に使用している宮古海峡を守ることを目的としている。海峡の通過は完全に合法であるが、日本のブルジョア・マスコミはその都度警鐘を鳴らしている。

 

戦争に備える

 宮古島の一般市民は基地についてどう思っているのだろうか。「彼らは抗議行動に参加しなくても、道徳的に私たちを支持してくれています」と清水さんは述べる。発行部数16,000部の地方紙「宮古毎日新聞」の編集長垣花尚氏は少し反論する。無関心と諦めが入り混じり、それが地方政治にまで及んでいるという。「近年、中央に反対することは不人気になっています。そして、それは危険です。既成事実が徐々に作り出されつつあるのです」。防衛省は隠しカードで勝負し、その計画について住民を長い間、暗闇に置いたままにしている。

 また、ロケットランチャーやミサイルが2か所に保管されている基地の地理的配置は、まるで自衛隊が後で島全体に広げられるために、はやくも足を踏み出そうとしているように見える。彼は、米軍が宮古諸島のひとつに定着した場合には、雰囲気が変わると確信している。住民は今でもこれにアレルギーを持っている。例えばアメリカと中国の間で軍事紛争が起こった場合、島が敵対行為に巻き込まれるという事実は、今のところごく少数の人しか考えていない

 その後、清水さんは兵舎のある千代田軍事基地に連れて行ってくれた。サトウキビ農園の真ん中にあるゲートの前には、活動家たちが横断幕を掲げている。そのひとつに「私たちはEKF部門に反対している」と書かれている。EKFは「電子戦」の略で、電子偵察などが含まれる。島の軍事化が進むなか、EKF部門はまもなくここに移管される。

 千代田から車で20分ほどのところに、2つの弾薬庫などがある基地の隣に住んでいる下地茜さんも、これに反対している。3つ目の弾薬庫はまだ建設中だ。下地さんは市議会議員になって3年。議論はすぐに、岸田首相が日本の様々な場所に配備しようとしている長距離ミサイルが、早ければ来年にも、敵の基地を襲撃できるようにしたいと考えていることに及ぶ。もちろん宮古島も候補だが、道が狭いなどマイナス面もあると下地さんは言う。

 さらに心配なのは、日本政府が、戦争が起きた場合、宮古諸島の住民を1,000キロ離れた九州の熊本に避難させる計画を立てているという最近の報道だ。「その後、二度と戻れないのも想定外ではありません」と下地さんは言う。これも地元の抵抗を打ち砕く方法のひとつだ。

 

(Microsoft Edge およびDeepL による機械翻訳を修正)


2024.1.11

 

 連続講座第1回に参加された台湾の曹瑞泰さんがインターネットメディア「風傳媒」に発表された論考を、拓殖大学の岡田実さんが仮訳されています。岡田さんも講座に参加されています。

 

2023-11-26「風傳媒」 

https://www.storm.mg/article/4920693

仮訳 拓殖大学大学院国際協力学研究科教授 岡田実

 

軍事基地のない平和の島

 

台湾日本総合研究所主任研究員 曹瑞泰

 

 米軍が琉球諸島の統治権を日本政府に返還し、沖縄県知事を公選して以来、県知事選の争いは、中央政府の長期政権の優位性を持つ自民党候補と非自民候補がそれぞれ勝敗を分けているが、自民党所属の県知事が米軍に協力して第一列島線防衛を遂行しても、日本を守るために必要な軍事基地政策については、ほとんどが非自民県知事と同じで、琉球を軍事基地のない平和な島にしたいという願いがあった。

 何しろ面積が日本全国の0.6%しかない冲縄県に米軍基地を含む7割以上の基地と関連施設が設置されており、日本本土にある米軍施設の91.1%が一時的なものであるのに対し、沖縄の米軍施設は98.9%も長期的かつ米軍専用なのだ。沖縄の発展は、日本政府が米軍に協力してコントロールする中で、内閣官房長官が沖縄の基地負担軽減を兼務し、内閣府に「沖縄総合事務局、沖縄振興審議会、沖縄振興局」を設置し、さらに政府が全額出資する沖縄振興開発金融公庫を設置したり、毎年沖縄振興開発特別予算を編成したり、自民党の県知事が中央支援の経済振興策を掲げたりしても、随所で牽制されてきた。しかし、皮肉なことに、沖縄県は長年の経済活性化にもかかわらず、依然として日本全国の年間平均所得の最下位から抜け出せていない。

 多くの実例が証明しているように、軍需産業と国家政経武力が一体となって発展し、しかも軍事基地と戦場を他国内に置く軍武型経済国家でなければ、地域経済と軍事基地は融合して発展することができない。軍事基地と施設はすべて戦争に備えて存在し、目標は戦争にあって、戦争がいつか勃発するその日のために準備するものであり、大げさなしゃべり方をして戦争に備えるのは、戦争を回避するために戦争を隠す話術であり、人をだますような言葉である。

 第二次世界大戦後から現在に至るまで、琉球は米軍基地の本拠地となっており、再び日本に編入された沖縄県は依然として日本本土を防衛する辺境の島となっており、日米戦争準備の予備地となっている。だから、第二次世界大戦末期に「鉄血勤皇隊」に動員されて沖縄戦争に参加した大田昌秀元県知事は、生死、研究と著書を経て、「戦場の軍隊は人(民)を守れない」、「本土を守るために冲縄は捨て石となった」、「私は実際に戦争を経験し、軍事基地を設置することは絶対に受け入れられず、冲縄を再び戦場にしない」という血みどろの忠告を世に問うたのである。

 日本は1976年から国防予算を国内総生産(GDP)の1%に制限してきた。しかし、ここ数年、米国が日本に軍事予算の引き上げや防衛力の強化を要求すると、岸田政権も中国脅威論を強調し、防衛支出を年々引き上げ、2027年には日本のGDPの2%に達するとみられている。こうした経済活働の最適化が困難な軍事支出は、武器軍備の向上だけでなく、琉球諸島など南西諸島の軍事基地建設関連経費(馬毛島、石垣島、与那国島など)にも拡大している。

 先日、琉球の民間団体「冲縄・琉球諸島の声を届ける会」は、沖縄大学で「沖縄・琉球諸島が直面している新たな戦前の情勢の真相を伝える」フォーラムを開き、会場には地元の関心者だけでなく、米日台などのメディア関係者や専門家や学者がオンラインで参加した。各講演では、軍事基地が島々に拡充されつつあること、自衛隊関連の居住者数が増え続けていること、地元住民数が減少していること、日に日に増える安全保障上の脅威、将来の島々の経済が見えてこないことなどが指摘され、さらには島々を「軍事基地依存型の経済モデル」に陥らせていること、明日のない島々が講演者の声を詰まらせ、関係者を心配させていることなどが指摘された。「生活に依存する島を戦場にしない」ことを続けるとの心の声を世界に聞かせるために、11月23日には「全国を結ぶ県民平和大集会」が発足し、現場に参加した民衆は1万人を超えた。人々は皆、「基地のない平和な島」に戻る日が来ることを期待している。

 琉球の統治権をアメリカから取り戻してから今日まで、日本政府は沖縄県の振興発展のために多くの特別な政策と措置を投入し、膨大な労力とコストを費やしてきたのに、なぜ沖縄県の年間平均所得は依然として全国最下位であり、沖縄住民の民意と中央政府の立場との落差は依然として大きいのか。もともとアジア大陸の東太平洋の核心に位置し、万国津梁の経済貿易繁栄の地に属していた琉球が、なぜ日本の辺境の軍事基地県境に落ちぶれたのか。それは琉球・冲縄の民心に背を向けた日本とアメリカ政府が、深刻に反省すべきところである。

 かつて戦場の残酷さを経験したことに向き合い、圧倒的多数の住民が今も「軍事基地のない平和な島」のために努力を続けている琉球に対し、我々の台湾は逆を行っている。ミサイル基地の増設、弾薬庫の拡大、兵役の延長、動員体制の強化を続け、台湾をハリネズミの島にしている。近隣の琉球島民の心の声は、戦争への備えは戦争を止められないこと、戦場の軍隊は人民を守れないこと、少数の既得権者に期待された政権に、台湾の人々の命と私たちが依存する地を犠牲にさせてはならないことを、改めて我々に教えてくれている。琉球、台湾、東太平洋の島々が海と陸で結ばれ、手を携えて平和の弧を創り上げていくことを期待している。

(仮訳 拓殖大学大学院国際協力学研究科教授 岡田実)